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惑星Zi史概説:7,民主政の勝利とヘリック王国分裂 [付属図書館]

 階級の項で述べたように、富裕な市民は武装を自弁し、また自分たちで部隊を構成して都市軍に参加する。それ故、階級の高い市民の存在が都市軍の構成には不可欠であった。そしてそれは、その都市国家を結んで作られた領邦と、その合併体として成立したヘリック王国においても同様であった。第一次大陸間戦争、即ち初めての暗黒軍来襲時にも、戦争で重要な役割を果たした階層は、農民、特に富農以上の階級の人々であった。
 しかし、これらの人々が戦争に駆り出されているのをいいことに、多くの領邦では階級の低い労働者達の中から議決に必要な人数を集め、議案を通してしまうという事態が発生した。これらは民主派に都合のよい議案で、戦時でなければ民主派と寡頭派に二分されるような議案であった。例えば、議決のために必要な会議の場が、限られた貴族が構成する議院のみであるか、もしくは市民総会であるか、といったものである。
 また、暗黒軍を追い払った一番の立役者が地底族であったことも、第一次大陸間戦争後、逆説的に寡頭派の敗北に多大な影響を与えた。他部族が、彼らの力を却って危険だと判断したため、寡頭派を擁する地底族に反対する風潮が盛り上がったのである。
 斯くして、民主派と寡頭派の対立は、民主派の勝利に終わった。が、民衆が政治に大きく関わるようになると、新たな問題が起こるようになった。貧農をはじめとする労働者は、元より日々の仕事に忙殺されているのに、行政や司法、国防にどのようにして参加させるのか、という問題である。経済状況の改善が必要であった。
 そこでヘリック王が推進した施策は、政治活動にも国から手当を支払う給料制である。ここに至り、政治は富める者の義務から、役務の一つと見なされるようになる。政治家にも報酬が支払われるという民主主義経済の原理が成立したのである。また、ヘリック王は貧困を堕落の原因と考え、市民全員が生活の糧を保証されうる状態を作ろうとした。例えば、未開地を植民地として多くの貧しい者を送って土地を与えた。また、国内に残った貧者たちには兵器工場や工事現場の仕事、商売の仕事を公共事業として用意した。家を持たないほどの貧困層には、国に所属する職業兵士としての雇用を行い、訓練を課すことで労働とし、住居と給与を与えた。
 誤解すべきでないのは、民主派の勝利によって貧困層に富裕層と同等の力を与えられたのではない、ということである。基本的には貧困層に広大な土地を与えることはなく、与えたとしても政治に参加するには地理的に難しい、中央から遠く離れているか急峻な土地を与えるようにした。直接民主制の下では、労働に忙殺されている者が自分たちの土地から中央へ旅するのは容易なことではない。これはつまり、「土地という財産的基盤を持つものが市民としての権利を享受する」という古代的階層構造を残そうとする動きであり、平等の萌芽にはなり得たものの、実現にはまだ程遠い。全部族の平和的共存状態を、完全なる平等の下に生み出そうとする理想社会の実現は、ヘリック王にも不可能だったと言えるだろう。
 さて、ともかく公共の仕事にも給与を与える制度は、貧しい者にも権力を与えた。しかし、この制度を維持していくためには莫大な国庫負担が必要であった。この費用を負担するヘリック王国の財政は如何なるものだったのだろうか。
 財政に大きな負荷がかかった時、不足する資金を拠出するための方法は2つある。ひとつには、自国を帝国化して対外侵略を行った上で、そこを更なる植民地とし、自国の支配構造の中に従来より権利の弱い者を新たに作り出す方法がある。つまりは、暗黒大陸や西方大陸の懐をあてにするということである。あてにされた方はたまったものではないが、これによって国内の貧民は確実に救済される。後にゼネバス皇帝も主張した方針である。
 もうひとつの方法は、対外進出をしない道である。つまり何が何でも自国の財布で全てを賄うということであり、自国民に更なる出血を強いるということでもある。元より財産に多少の余裕がある者は良いが、貧しい者を救済することは困難となる。やりようによっては、貧者にとって、死刑宣告にも等しい選択となる可能性もある。そのためこちらの方法を取るならば多くの場合、裕福な者の財産を国家が再分配する方針をとる。しかし、ヘリック1世王には、それを行うと公言することは憚られていた。何故なら、ヘリック王国建国の主導権を握ったのは以前から裕福な風族であり、それら国内有力者の財産を解体することはヘリック1世王が支持基盤を失うことにも繋がりかねないからである。
 そこでヘリック王国内でとられたのは、暗黒軍の脅威・来襲に備えて各部族・胞族から出された「部族同盟基金」を給料制度の拡充に充てるというやり方だった。これは民主派と寡頭派にとって、見逃せない争点となった。諸部族が提供した貢賦金を、目的以外の事に使うことになるためである。寡頭派は民主派を攻撃する。本来の目的に反することをすれば、諸部族に対して申し開きが立たないのではないか、と。民主派の筆頭たるヘリック王はこれに対してこう答える。「貢賦金は既に出した人々のものではなく、『侵略に対抗する準備』という代償さえ果たせば受け取ったヘリック王国政府のものだ」。国家の信用を維持するというモラルよりも同盟基金を使って得られる利益を優先し、ここでも民主派が支持された。暗黒軍の次なる来襲に対抗するために必要なものを揃えた後、余剰の基金は先述のような国家的公共事業に回された。王国政府の官庁・宮殿などの工事費に充てられるのにも異議が唱えられたが、ヘリック王はそれら事業をして、「完成の暁には栄光を、その途上においては繁栄をもたらす事業」と呼び、異議をはねつけた。
 ヘリック王国の政治は、その名は民主政と呼ばれたにせよ、実質は秀逸無二の一市民・ヘリック1世王による支配が行われる体制であった。ヘリック王に反対する人々は、民主政を完成させた当の本人こそがその民主政の敵であると彼を非難した。だがヘリック1世王は、抜群のカリスマ性を発揮して民衆を引っ張っていったわけではない。また同時に、民衆の人気を得ようとして、媚び諂ったわけでもない。教育的見地から民衆を導き、自分達の利益がどこにあるのかを啓蒙し、民衆に気づかせたのである。民主主義の下で、人は個人的な利益を見定めた上で、どの政体を支持するかを決める。民衆の多くはヘリック王の政策に自分達の利益を見出した。逆に言えば、より多くの民衆の利益を第一に考えたからこそ、ヘリック王は民衆の指導者として認められたのである。
 しかしその結果、後にヘリック王国は分断することとなる。民主派の後裔が率いるヘリック共和国と、寡頭派後裔が率いるゼネバス帝国の誕生である。


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