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民族と国民 [付属図書館]

民族と国民

民族と国民~民族問題の原点


1,10,ZAC2098

目次




はじめに

1、民族と国民

2、共和制国家が生んだ民族国家~ヘリック共和国からゼネバス帝国へ

3、ゼネバス・ガイロス帝国に潜む民族意識の差異と歪み

おわりに













はじめに






 ガイロス帝国は現在、幾つもの問題に直面している。戦時体制下の国民への圧力、軍事力を除いて未だ成功したとは言えない「大災厄」からの復興。そして本稿において主とする問題、ガイロス帝国国民と旧ゼネバス帝国国民間の不和等である。

 本稿は、現代ガイロス帝国社会が抱える様々な問題の引き金となっているのが、この民族間不和にあると仮定して論証するものである。また同時に、ガイロス帝国のみならず惑星Zi全体における民族・国民問題についても概観していく。






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1、民族と国民





 「民族」とは何か。簡潔に表すなら、「共通の民族性を持つ集団」ということになる。

 「民族性」とは、そこに所属する人々の生活が営まれるうちに身についた文化風俗である。共通の歴史、言語や習慣、宗教や倫理などの文化風俗を共有している者同士が同族意識で結びついた集団を「民族」と呼ぶ。

 字義からすれば「部族」は「民族性」を有するが、しかし、部族と民族は似て非なるものである。さて、惑星Ziで語られることの多い「部族」とあまり語られてこなかった「民族」は、何が違うのだろうか。

 「部族」の単位が「同じ血筋を持つ集団」としての意味合いを持つのに対して、「民族」は必ずしもそうではない。「民族」は、「部族」や「胞族」、「氏族」のような血統的単位を越えた社会的人間としての単位である。このため、必ずしも部族的に同質である必要がない。
 かつて惑星Ziには、「民族」や「国民」という概念はなかった。各都市国家の「市民」や「部族」、「どこそこの何氏族」という区別が存在しただけであった。この星には、300年ほど前から約50ほどの「部族」が暮らしていた。代表的なものに風族、海族、虫族、地底族、火族、神族などがある。彼らは遺伝・生物学的にも異なる因子を持ち、それぞれの発生の秘密も完全には明らかでない。同種による異なる環境への適応なのか、異なる環境で発生した(交配可能な)異種なのか。ともかく、彼らは各々の部族が適応した環境の中に独立して、ほとんど自給自足の生活を送っていた。当然、彼らは別個の文化風俗を持っており、この個別の文化は無意識・自然的に生まれたものと言える。

 人類が惑星Zi全体に生活圏を広げ、領国が合併と分裂を繰り返した部族紛争の時代。そこでは、部族は結合と離散を繰り返しつつも、各部族が特性に応じて役割を分担し、独自の文化を保持し続ける事ができた。他「民族」と交わる事で明確化される「民族」としての独自性の認識はまだ弱かったといえる。

 自給自足の生活単位である「部族」の一員として暮らしていく上では、固有の生活文化が無意識的に身に付いた。そのため、「部族」の違いを「民族性」で説明する必要は無かった。いずれの都市国家の成員であるか、どの領国(部族が単位であった頃の政治的領域)に所属しているかは意識せねばならないが、部族という言葉でそれぞれの領国の文化の違いを説明できた。この時代の「領国」は、現在の「国民国家」という概念と一致していない。かつては、まさに「nation(国)」は「native(土着)」だったのである。「民族」という部族を超えた集団へのアイデンティティは、必要とされていなかったのである。

 後に成立したヘリック王国内では、同一の部族内でも異なった文化を持つに至ったり、また、別の部族であっても一定度の共通文化を持つ集団を生み出したりした。このような流れの中で、超部族集団として「民族」や「国民」の概念が歴史に登場した。「民族」は、異なる部族が、部族の壁を超えて繋がったものと言える。

 では「民族」と「国民」の違いはどこにあるのだろうか。「国民」とは、主権を持つ近代国家の成員、社会的人格を指す言葉である。中央大陸における戦乱期を乗り越え、暗黒軍に対抗するため大陸中の領国が統一された一大帝国「ヘリック王国」は、惑星Zi初めての近代国家であった。ここにおいて、初めて「国民」が生まれた。「国民」という言葉には、所属する部族を超えて、国家のために義務を果たすという帰属意識が含まれている。「国家」とは、「民族」や「部族」の集合であり、部族を超えて作用する政治上の存在である。「国民」は必ずしも共通の文化風俗を有していないが、同一の政治的目標のために働く宿命にある。そして「国民」とは、そのようなよりマクロな共同体の中にいる一構成員のことである。しかし、血のつながりを超えたものであるだけに、社会文化的共有感は国家によって強調されなければならなかった。

 ヘリック1世王は、中央大陸に住む全部族を「星人」という表現を用いて呼びかけたが、これは中央大陸の全部族を暗黒軍の来襲をきっかけにまとめあげるためであった。当時、「中央大陸人のみを星の代表のように表現している」ことに対して、「やはり風族は傲慢だ」などといった批判も確かに起きていた。ともあれ、ヘリック王のこの発言こそが、「超部族集団」たる「国民」に向けて放たれた歴史上最初の言葉であった。

 ヘリック1世王の中央大陸統一事業は、国の概念を一変させた。多くの「部族」を抱える「国家」が成立する事となり、単一の国家政策の下に異なった文化集団が置かれる事になったのである。このことは文化の共有による部族間の同族意識を薄める作用があった。異文化を持ちながらも同じ領域に住む者達が、拡散し、交わり、融合していくのである。「部族」の代わりに新たに同族意識の帰属先となったのが、異文化を持つ民族同士の共存領域そのもの、つまり「国家」である。

 近代国家の誕生によって、「部族」的な枠組みから「民族」的な枠組みへと移り変わるきっかけが生まれた。しかし、この時点までは「国民」と「民族」は、ほぼ同一の基準内で語られるものであった。それはほどなくして、2つに分裂することになる。ヘリック共和国とゼネバス帝国の分裂後のことである。




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2、共和制国家が生んだ民族国家~ヘリック共和国からゼネバス帝国へ





 ヘリック1世王の中央大陸統一によって生まれた共和制は民族間の平等を唱え、各民族の融合・統合を目指した。ひとつの集団としての協力関係を築く為には、それが最良の道だったからだ。しかし、問題は共和制が統合と同時に各民族の自由・権利をも保証することを唱えていたことにある。平等自体に問題はないが、それが実行できたがどうかが問題となる。

 各部族は文化習俗の違いから、多かれ少なかれ政治上の主張や利害関係に差異を有する。言語を例にとってみよう。惑星Ziの険しい地形は、各部族の居住領域を永く隔てていた。部族間の交流は限定され、各部族は独自に発達させた言語をもった。よって、惑星Ziにおいては言語上の差異はかなり大きかった。同部族の間でさえ、方言が存在する。国家統一に際して、こうした言語上の差異は大きな障害となったはずである。統一された政治体制を国家の隅々に浸透させる事が、単一の言語をもってせねば難しいためだ。書類ひとつとっても、国民の全てがそれを読む事ができるか否かが問題になってくる。

 そこでヘリック王国は、まず、言語の統一化を図った。その上でそれまでの各部族の居住領域(領国)ごとに自治体(領邦)を置き、それら領邦の代表から成る議会を作り上げた。これにより、制令の発布などに際しても代表者を介する事で各々の領邦に適した言語で伝達する事ができるようになった。

 しかし、この事は新たな問題を孕んでいた。他言語を解する者は現実にはそう多くはなく、代表に選ばれる傾向が、統一言語を操る者はエリートとして優遇される傾向が生まれた。また、企業や法人に所属する者などが個人的な利益を金で買う事ができるようになった(政治献金をすることで、議会の議決を左右することができるのだ)。「通訳者」を介する事は自然と汚職を生み、結果として政治体制をまとめる事にはならなかった。国家議会議員や領邦議会議員は富める者となり、社会の階層構造は明確化した。政治から清浄なイメージが次第に姿を消していった時代である。さらに社会の階層化は、政治から取り残される階層をも生んだ。彼らは自分たちの政治的主張や利害を議会で通す事ができなくなり、富裕層によって搾取された。ヘリック王の掲げた民主主義は「すべての部族を平等にあつかう」事を名目に掲げていたが、現実は必ずしも彼の意向に沿うものとはならなかった。

 勿論、統一前のように、戦争によって問題を解決する傾向が薄らいだため、見せかけの上では平和な時代が訪れたと言っていいだろう。しかし、政治は勝者と敗者を生むゼロ・サム・ゲームとなり、敗者となったものが再び返り咲くのは至極困難であった。

 ある時期、王はこれを憂えて、各部族の政治的主張を折り合わせて中道的な政策を執る方針を打ち出した。が、これは議決に長い時間を要したことで反対を呼んだ。この頃は、領国戦乱と第1次大陸間戦争(※ZAC2051年に始まる戦争は第2次大陸間戦争である)後の復興・発展の時代に当たり、中央大陸は統一の熱狂に沸いていた。王国民は自分達の代表である王や議会に多大な期待を寄せており、政治家にとっては自分達のリーダーシップを誇示する絶好の機会であった。このため議会を長引かせる(国民の主張がなかなか政治に反映されない)ことは、国民の意気を消沈させることに繋がると考えられ、嫌われる傾向にあったのである。こうした宥和政策の失敗は、後のヘリック王国分裂に暗い影を落とすことになる。

 以上のような「平和」を目指す流れの中で、議会はある部族を抑圧していた。地底族と呼ばれる、巨大なクレバスや洞窟、大空洞を居住空間として暮らしていた者達である。地底族は、部族間紛争の末期に風族のヘリック王率いる「平和連合軍」と争った「連邦軍」の首長・ガイロス家を含み、進んで戦争を起こすもの、争いを好むものとされたためである。また、同様の理由から火族なども迫害を受けていた。

 地底族の主張は、多くの場合議会で否決或いは黙殺された。元来武芸に秀でた部族であった地底族の中には、軍や警察機構に所属する者も多かったのであるが、それは彼らが中央政府の機構内に取り込まれていたことを暗に表す。即ち、彼らは政府以外の何物にも従う事はできず、「弱者の味方」であることは許されなかったのである。ましてや自分の部族だけに肩入れすることなど言語道断であった。よって彼ら地底族の多くは発言力のない政治的弱者であり、総じて搾取される側であった。

 居住の問題が、地底族が受けた搾取の様子を端的に表す、その代表的なものである。地底族はその居住様式(洞窟を利用した住居)から中央大陸各地に点在していた。そのため、他民族の領邦に戸籍を置いている者も少なくなく、余所者のように扱われていた。彼らの利害は、その領邦の中での多数派を占める他部族に握られ、その領邦の中では必ずしも主権を通す事はできなかった。このような問題の解決方策として、ヘリック王国議会は、幾つもの領邦に住む地底族臣民を、地底族だけからなる領邦へと移住させる議案が提出された。しかしこの議題に伴って、新たに入植する地底族をどこに収容するのか、という問題が持ち上がった。地底族が多数派を占める領邦であってもその半数近くは他部族から成り、彼らはこの議案に反対であった。人口の増加による就職難への懸念、居住区域をどこに置くかなどの問題がその理由である。そのままの行政区画で地底族全てを(財政的に)収容できる領邦は少なかった。「地底族と他部族を交換する」という案もあったが、既にそこに居住権を持っている他部族の国民に転居を強要する事は、民主主義の名目上不可能だった。結局、移住案は反対多数で否決された。この時に賛成票を投じたのは、地底族議員だけだったと言われている。皮肉な事に、共和制のはずのヘリック王国に暮らす多くの部族は地底族を敵視することで一つにまとまっていた。地底族が搾取される側から抜け出る事は困難だったといえるだろう。

 こうした圧制の中で、地底族が王国政府に疑問や不満を持ち始めたとしても何ら不思議はない。

 彼らが戦乱の時代に率先して戦を起こした事も事実であるが、彼らがいたからこそ暗黒軍を撃退できたこともまた、事実である。そして、共和制のヘリック共和国に所属する以上は自らの主権を守る権利を与えられなくてはならなかった筈である。

 地底族はこうした論拠と「名ばかりの部族融和への反旗」というスローガンを掲げ、ヘリック王国側の「民族」とは別個のコミュニティーを作りだした。政治的な立場は、一般生活上の立場にも大きく影響しており、他部族の雇い主は地底族を雇う事を嫌っていた。このような雇用の選択範囲の限定を補うために、地底族の起業家は地底族のみを雇うようになった。地底族の教師は他民族の学校を離れ、粗末な地底族の私立学校を作って地底族の子どもだけを教えた。

 この頃は、「平等」や「公平」を唱う王国制の下で、風族や海族を除く他部族の中では民族意識の根元が次第に薄まってゆく時代であった。が、地底族だけは固有の文化を保持し続け、同じヘリック王国内でも、風族や海族から成る「ヘリック民族」とは異なる民族性=「ゼネバス民族」への帰属意識、アイデンティティーを強めていった。

 1959年、ガイロス家の首長の妹との間に、ヘリック王の第2子が生まれる。彼こそが後に、ゼネバス帝国を築き上げることになる皇帝・ゼネバスである。

 ゼネバスが争う事に飢えて新国家を興したという従来の歴史叙述は正しくない。

 軍司令官という要職に就いていたゼネバスは、事実上地底族の代表であった。上記のような困窮により、地底族はその代表者であるゼネバスに絶大な期待を寄せていた。彼の双肩に、全地底族の運命がのしかかっていたのである。

 彼が勇猛な戦士であったことは疑う余地は無い。彼の好戦的な性格は、確かに広く知られている問題認識と共通する部分もある。しかし彼は優れた指導者でもあり、それだけが理由で戦争を起こそうなどという破天荒な(或いはただ単なる戦争好きの独裁者的)人格でもないことも、明らかである。そうでなければ、誰も彼の脱出に力を貸したり、新天地への旅を共にしようなどとは思わなかっただろう。ゼネバスは、地底族の政府への不満を一手に担う政治的代理人として、敢えて矢面に立ったのである。だからこそゼネバス帝国建国にあたって、彼を帝国の指導者として玉座に立たせる事に「ゼネバス民族」の大半が賛成したのであった。

 彼の「戦争」への指向については、いくつかの理由が歴史家らによって唱えられている。その内の一つには地底族の弱体化を憂えていた事がある。地底族が議会での権力実行に有効な手段を持たない以上(軍の最高司令官であったゼネバス自身もまた、議決権は与えられていなかった)、彼が地底族全体のために出来ることは、兄ヘリック大統領に戦争を提言することだけだった。彼は特に、北の暗黒大陸にその存在が明らかになった「戦闘民族」の脅威を排する必要性を説いた。中央大陸の民を護るために。

 無論、真の狙いは、戦争状態に突入することによって軍部の権力を増大させ、軍所属者の多い地底族の権利拡大に繋げることである。また、彼らの悲願でもあった「地底族全体の権利の保証された領邦」を築くための領土(植民地)を得る事もできるはずだった。

 兄ヘリックがこの提言をゼネバスの個人的な願望と勘違いしたために、兄弟は決闘によってこの問題の解決を図る事となった。もし勘違いがなかったとしても、ゼネバスの提言は結局のところ侵略行為であり、ヘリックにとっては許し難いものだったろう。かといって、「ゼネバス民族」の権利保護のための即効性ある方策が採れなかったヘリック2世に責任が無い訳ではないが。

 議会は、地底族の意向を封じ込める必要があった。どちらが勝ち、どちらが負けても、決闘に正当な決定力を持たせてはならなかった。もしゼネバスが勝てば地底族を利することとなり、ヘリックが勝てばゼネバスという頭目を失ったゼネバス民族をまとめておくことなどできない。議会にしてみれば、「ヘリック2世め、とんだ勝手をしてくれた」といったところだったろう。そこで、決闘を前にゼネバスとゼネバス側の立会人らを闘技場から追放するという、決闘そのものを行わせない手段に出たのである。

 ゼネバスは地底族とともに中央大陸西方へ脱出することに成功し、巨大な山城を築いた。未開拓地を多く抱える中央大陸西方への移住は、多くの危険を伴うものであった。移住はまさしく、ゼネバス民族の主権を守る最後の手段だったのである。

 この時、逃亡したゼネバスとこれに追従した者達は、共和国議会がこれまでの民主主義政治の汚点が露呈することを恐れ、ゼネバス達を攻撃してくることを予想した。なぜなら、ゼネバス脱出後のヘリック共和国内部では、地底族の離反が軍や警察の弱体化を引き起こし、社会不安を呼んでいたからである。ゼネバスは、この不穏な空気が地底族への憎しみに繋がり、戦争に発展すると睨んだのだ。勿論、地底族もまたヘリック共和国を好ましく思ってなどいなかった。対外危機を軽んじる平和主義、私腹を肥やす政治家達、そして名ばかりの民主主義。ゼネバスが、自ら建国する国を一元的な支配の下で独裁を敷く「帝国」と称したのは、これらヘリック共和国の抱える諸問題へのアンチテーゼでもあったはずである。こうした体制が可能だったのは、ゼネバス帝国を構成する国民が弱者側の数部族から成っていたためであった(※なお、実際には少数の異民族も含まれている。ただし、獲得した未開拓地に充分な領土があったことと、反共和国の協力体制及び共和制への反省から、ヘリック共和国内で起こった問題については回避されている)。

 かくして、地底族はゼネバスを皇帝とあおぐ帝国を築き、ヘリック共和国との大戦争に備えて大がかりな準備を始めたのである。中央大陸戦争と呼ばれるこの長い戦争の中で、一つの共通の敵を持った共和国の各部族・民族は団結し、戦時で無ければ議題にすらならない多少不自由のある法案や制令もまかり通る世情となった。

 例えば共和国一般に共通の言語として、風族の使っていた言葉が定められた。数世代を経て殆どの国民は風族語を母語に持つようになり、自分達固有の言語のみならず、それによって伝えられるべき文化や風習も忘れ去られていった。代わりに、共和国政府がすすんで取り入れた地球人の文化が広く浸透し、部族の差異は失われていった。





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3、ゼネバス・ガイロス帝国に潜む民族意識の差異と歪み





 ゼネバス帝国は中央大陸戦争に敗れた。この機を狙って攻め込んだガイロス帝国によってゼネバス帝国は併合され、国民はアイデンティティーの帰属するべき領土と国を失う。

 本章では、ゼネバス帝国を呑み込んだガイロス帝国における民族・国民意識について考察し、ゼネバスのそれとの比較を試みる。しかし、戦に次ぐ戦という時代を長年積み重ねた暗黒大陸の民の歴史叙述には、戦乱期の中央大陸がそうであったように信頼の置ける物が少ない。戦争の歴史そのものが歴史を伝える書物を焼き、歴史家・口伝者を殺した事も理由の一つである。が、それ以上に資料の信頼性に問題がある。現在残っている歴史資料の多くは、戦争に勝利した国が意図的に残したものでしかない。被支配国の歴史については、あるいは抹消され、あるいは歪められ、恐らくまったくといっていいほど正確には伝わっていない。ゼネバス帝国について語られる歴史が、共和国政府によって多かれ少なかれ歪められていた事がその証である。

 従って、ここで語る内容は客観的なもののみに留める。いくつかの歴史書から共通して語られている事を読み解き、そこからガイロス帝国の民族意識の原点を探すことになる。

 ガイロス帝国は暗黒大陸に所在する。この大陸もまたゾイド星の地象的特徴の例に洩れず、険しい地形の支配する大陸であった。その代表的なものは「流血の門」「神の叫び」「悪魔の迷路」と呼ばれている。切り立った岩山、深い谷等で形成されたこれらの地形は、大陸間戦争の際、共和国軍の進軍を大きく遅らせるほどのものであった。

 ガイロス帝国の国民もまた、中央大陸同様に、地形に適応した文化を持った部族ごとに小国家に分かれていた。しかも、極地に位置するために全領土の半分は酷寒の地で、厚い氷に閉ざされていた。このため各小国ごとの往来も中央大陸以上に少なかった。唯一戦争と略奪のみが、交流の手段であった。人が住める地域は非常に限定され、それらもお世辞にも肥沃とは言えない土地だった。また、ヘリック1世王の来訪により中央大陸という豊かな楽園の存在を知った彼らであったが、中央大陸への道は「鉄の海」「燃える空」「鉄砂の原」などといった危険に阻まれ、大規模な移住は困難だったという。

 こうした貧しい国土に住む人々の文化は、弱肉強食を思想の根底に置いて成り立っていた。他者から奪い取る事で財と生活の安定を図ることが、罪らしい罪とならない世界だったと言える。現にガイロス帝国の歴史は中央大陸にも勝る争いの歴史である。国内の統一を戦によって図り、財政を略取によって賄う。そうしていなければ満足に生き延びる事が難しい環境を住処としていたのがガイロスの民なのである。また、各民族のまとまりを保つため、対外戦争が主な政策として採用される慣習もあった。そんな彼らの国を見てヘリック1世が「憎しみと戦うことにのみ炎を燃やす」と評したのも当然と言えば当然であろう。現在でもその傾向は、「復讐法」の存在等に見る事ができる。

 しかし、これら小国家をガイロス皇帝が武力統一した時から、国内は一応の安定を見せた。中央集権を進める政策が次々と打ち出され、暗黒大陸はガイロス家によって統治され、また支配された。この支配には当初首都ダークネスへの完全中央集権化が提唱されたが、険しい地形や気象も災いして結果的に権力が隅々にまで行き渡らず、地方政治が腐敗し、また他民族からの反発に遭った。やがて集権化方策は緩やかとなり、貢納による封建体制という妥協点に落ち着く事となる。

 このガイロス家は、ヘリック王国でヘリック1世を補佐したガイロス家の遠縁に当たるものとされているのが通説である。この説には資料的根拠が乏しく、反対派を論破できるほどの論文は未だに発表されていない。しかし、この説を有力たらしめているのが、第1次帝国首都包囲で暗黒大陸へ落ち延びたゼネバス皇帝が、暗黒大陸の人々の協力をとりつける事ができたという事実である。

 いくつもの血縁的民族集団で構成されるガイロス帝国が、縁もゆかりも無い亡命者達を受け入れ、軍隊の建て直しに協力した挙げ句にまた送り出すなどという穏健な方策を打ち出すとは考えにくい。ここに、ゼネバスがガイロスに接近する何らかの事由があったものと推測されるのである。

 また、暗黒大陸の民は中央大陸同様の多民族性を持つが、「戦うことを宿命づけられた民族」という点で、殆どの民族が地底族と共通点の多い思想(世界観)を持っている。やや弱いが、これも論拠として挙げられている事項の一つだ。

 さらに、暗黒大陸特有の金属ディオハリコンの鉱脈を発見したのも、鉱物学に造詣の深い地底族ではないかといわれている。この金属はゾイドに投与することにより、ゾイド生命核を変異・活性化させ、本来以上の能力を発揮させる事を可能とする。近年、Gマグナイト、またオーガノイド技術の研究とも関連づけられているが、それに関しては他分野の論文に譲る事とする。

 これらの社会的事象から導かれる結論はこうだ。中央大陸のガイロス家と少なからず縁を持ち同じ姓を持つ暗黒大陸の地底族は、ディオハリコンの発見によって強力なゾイド軍団を編成することが可能となり、暗黒大陸の征服を実行できた。彼らは血縁を重んじ、救いを求めたゼネバス皇帝に対して無碍に扱う事はしなかった。しかし、弱肉強食の文化においてそれは代償ある盟約でしかあり得ず、資材の供与の代わりにガイロス帝国の封建制の内に取り込まれる事も示していた。「単なる偶然」とする以上に説明がつく説ではなかろうか。

 以上のように、ゼネバス帝国とガイロス帝国の文化上の特性には、共通する面が多い。併呑された後も、ゼネバス人はガイロス人と比較的上手につきあえるようにすら思える。

 だが、そこには少なからぬ差異もまた存在する。その大部分は、国家成立過程の違いに由来する。

 ゼネバス帝国の国民は、ヘリック王国での扱われ方から、「反風族支配」という単一の「民族」集団としての自覚を持っていた。対してガイロス帝国の各部族は、僅かづつの差異を認識して各々が別部族としての自覚を保ちつつも、基本的に共通した思想を持ち、単一の国家集団として機能する。

 ここに、今日の旧ゼネバス・ガイロス国民間関係の背景を見ることができる。

 つまり、ガイロス帝国のモザイク的な多元的民族構成が、同じ領土内にゼネバス民族の混在を許す要因となり、逆に両者の対立をも内包させる要因ともなっているのである。元々ガイロス国内にいた民族集団は歴史を経る事で大部分を一元化されたが、ゼネバス帝国民はガイロス国内に併合されてからの歴史が浅く、その風土にとりこまれるための十分な時間を経過していない。

 現在、カタストロフによる地軸のズレで、暗黒大陸の気象は大きく変化している。その正の所産として、気温が上昇し、大陸全体の気候がやや穏やかとなった事が挙げられる。その反面、大陸の一部が海中に没した事により、国民の生産・居住に堪えうる土地が減少している。


 このこととガイロス帝国の戦争準備政策が重なり合って、「面積当たり第1次産業生産率の上昇」と「国内総生産の減少」という相反する経済状態が出現し、失業率が帝国管区で軒並み上昇したり逆に富裕層の力が増大するなどの諸問題を生んでいる。この階層間経済の不均衡とそれに伴う民族問題の表面化が、対外戦争によってどこまで抑制できるのかは、今後の歴史叙述に任せる事となる。





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おわりに


 ヘリック共和国では、民族は地底族やゼネバス帝国を敵とする事で単一国家としてのまとまりを保ち続け、「国家」の形成者たる「国民」としての自覚を持つに至った。共和国の国民はいつしか惑星Ziの部族民としての独自性は失っていったが、同時に連邦制の中での少数民族の格差は残り続け、現代に至るまで少なからぬ社会問題を産み続けている。ただ、それは国家そのものを揺るがす程のものではないし、民主主義の原則がヘリック共和国の国民を守る限りは、多民族一国家の体裁を保ち続ける事ができるだろう。しかし、中央大陸戦争時代の終身大統領制が復活を見たり、強引な「多数決による民主主義」を貫徹していくのならば、問題は拡大の一途を辿ると思われる。
 ガイロス帝国では、民族は強固な武力統治によって圧迫されていた。「国民」意識は上から押しつける事で浸透させるよう試みられたが、各民族における反動は大きい。その反動は、未だ政府に統治達成の見通しを与える事を許していない。戦争に次ぐ戦争で国民の目を逸らし続け、それを慣習として残してしまったガイロス帝国においては、戦争無くしては国内の民族間感情はまさに一触即発の状態となるだろう。
 一つの文化を変わらず保持し続け、民族意識を強め続けたのは中央大陸と暗黒大陸の歴史の中ではゼネバス帝国の国民だけだと言っても過言ではない。それは長い歴史の中で地球人の文化等と混ざり合い、必ずしも部族と一致するものではなくなった。しかし共通の民族意識と共通の国民意識という点では、現代に至るまでほぼ完全な形で残っているのである。
 しかし、今現在、ゼネバス帝国という国家は失われ、地底民族たるゼネバス国民は生存に必要な土地を持たない。その正当な領地であった中央大陸西方は、今やヘリック共和国のものとなり、ガイロス帝国にもゼネバス国民が主権を発揮可能な住処はない。
 ガイロス帝国摂政プロイツェンはゼネバス帝国の出自を持つと言われているが、彼の目的は軍部によるガイロス帝国そのものの掌握及び中央大陸の征服にあると見られており、些か急進的に過ぎるきらいがある。彼が今現在の元ゼネバス帝国民にとって、政治的な代表者としてのゼネバス皇帝と同様の立場にあることは確かだが、急進的且つ「上からの」革命に対しては反動的なグループからの逆襲に遭う可能性が多分にあり、決して「多数派」ではないゼネバス派国民がこうした反動勢力にうち勝つには条件が充分に整っているとは言い難い。もし達成を見たとしても、必ず多くの犠牲を伴うだろう。そのような犠牲を払い、疲弊した政府を「反革命」グループが再度転覆を図った時、これを防ぎきる余力が残されているか否かは疑わしい。恐らくは、彼の独裁体制の下でゼネバス帝国民が守られたとしても、それは一時的なものに終わるだろう。
 一つの民族は、相容れない別の政治体制の下に服することなく独自且つ自由な行政機構を持つ資格を有する。そうでなければ、これまで見てきたように彼らの人権は蹂躙される事となり、また政治的不和の解消も至極困難となるだろう。
 民族不和による問題・闘争の表面化を、単に平和主義の観点から見る事や、理由無きテロルと見る事は絶対的に正しくない。また、迫害されることが不満ならば迫害されぬよう振る舞うべきだという論理も、安穏と暮らす権威者の的はずれな論理としか言い様がない。それは、民族文化を保持しようとする国民の主権を踏みにじる行為である。政治体制の如何を問わず、国家の政治的主導権を掌握する者は、この事を常に心に留めておかなくてはならないだろう。なぜなら、これはともすれば国家断絶と内紛の危機、果ては国家そのものの滅亡にまで発展しかねない問題だからである。

 結論として、ゾイド星の民族問題において以下のような事が言える。
 民族を統合することと同時に従順な被支配者を多数抱える事となったヘリック共和国・ガイロス帝国は、いずれにも与する事を嫌悪する旧ゼネバス帝国民に比して国民のアイデンティティーの拠り所となる文化・言語的な背景・根拠が相対的に弱いと言わざるを得ない。そうした中に、旧ゼネバス帝国民のような民族意識の高い被支配層を「行政的に混在」させている事は、「民族意識は高いが少数派」の勢力と「民族意識は低いが多数派」の民族との間に更なる不和の拡大を招くであろうし、その根を取り除く事は難しくなってくるだろう。
 両国は、多民族性の孕む問題点を正しく見据え、少数民族の保護政策を敷く必要がある。






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