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惑星Zi史概説:4,市民の職業 [付属図書館]

 科学技術の発展著しい現代に比べれば、慎ましい都市国家での生活。それでも、そこには様々な産業、職業があった。そして多くの社会でそうであるように、市民達の職業には貴賤の差があり、これによっても人々は区別された。

 最も尊い産業が「農業」である。これは、他部族との交流が少ない古代的共同体において、人々が自給自足を理想としたためである。最も理想的なのは広大な農地を奴隷に耕させ、その管理すら他者に任せることの出来る「豪農」であった。これは、自然的環境の険しい惑星Ziにおいて、古代の人々が余暇を貴重なものと考えていたことに由来する。多くの者を従えて生活に必要な収入を充分に確保し、労働から免れることによって公共活動に参加したり教養を高めたりすることの出来る者こそが、「美徳」を備えた人物と見なされた。「豪農」まで行かずとも、いや寧ろどんなに貧しくとも農業を営む者は尊敬されたが、土地を持たないために自ら農業を営むことができず、「豪農」の下で「小作人」として生活する農夫は、奴隷のようなものと見なされた。
 次に尊い職業は、惑星Ziを象徴する「ゾイド」に携わる者たちだった。ゾイドは、古代から、人間社会にとって生活を支える大きな労働力となっていた。捕獲を専門とする「ゾイド狩り」、飼いならし(時には改造し)、使役する「ゾイド使い」が尊ばれた。「ゾイド乗り」は、後述する戦士階級の一つとして、やはり憬れの眼差しを向けられた。
 ほかに「尊い」とされていた職業としては、農業と同様に食料を生産する「漁師」や「狩人」がある。彼らは、上記ゾイドにまつわる職業の祖と見られ、技能面でも尊崇を受けた。次いで、建材を生産する「木こり」や「石工」も、大事にされた職業である。惑星Ziの建造物は、自然環境の厳しさから、永続性が乏しい。建材は常に必要となる重要な資源であった。戦争ともなれば、防御設備の構築のために、彼らは兵に次いで重用された。
 農業従事者の傍には、「工業」を生業とする職人がいた。農村には必ず1人は鍛冶屋がいたし、豪農ともなれば、お抱え職人を数名持っていた。職人の多くは生活必需品を生産する者たちである。彼らは、生産的な労働を効率的に行うために不可欠な存在であった。惑星Ziでは、植物の表皮は堅く、土地は岩盤が露出している箇所が多い。前者は微細な生体金属分子を表皮に取り込んでいるため、後者は地殻変動が激しく土壌の堆積が繰り返されない箇所が多いためである。よって、粗末な道具では開墾もままならなかった。職人達を大切に育ててきた者は大成し、それができなかった者は現状維持がやっとだった。なお、職人の中には、美術芸術を生業とするものもあったが、それらは「美徳」を備えた者の楽しむ特権的なものであり、芸術・芸能家の類はごく少数だった。
 職人も含む生産者の生産活動に依拠する「商業」は、それ単独では成立し得ないため、職業の中では卑しいものとされた。「カネ」というのは、真に必要なものを生み出す農業等のいわゆる「一次産業」の取引を促すために存在するのであって、それらをやりとりすることしかできない商人は寄生虫のようなものとする価値観が形成されていたためである。特に卑しいとされたのは「貸金業」である。金そのものに寄生するような「金貸し」は、多くの市民から白眼視された。

 環境が安定し、農業生産が増加してくると、商工業が発達する。そうして財産を築くのに必ずしも農業を営む必要がなくなると、農業には関りを持たず、商業・工業に従事しながらも「美徳」の備わった者が現れてくる。しかしそれでもなお、農業従事者の方が重要な存在とされた。職人や商人の仕事は「他人のため」に行うものであり、奴隷に近い存在とまで考えられていた。貧しい職人ならばなおさらで、狭いアトリエに籠もって仕事をする彼らは、市民の中でも「劣った者」であった。
 そのため、手工業や肉体労働に関しては、奴隷は勿論在留外国人でも就くことができた。逆の見方をすれば、これらの職業が、彼らの市域での生活を何とか保障している側面があったとも言える。

 生産労働をしないが、どんな都市国家でも一目も二目も置かれていた職業があった。「運び屋」である。分断された都市国家同士を繋ぐ彼らのような存在は、惑星Ziの人類社会において不可欠なものであった。彼らに支払われる報酬は常に破格であり、市域外での生存は過酷であるものの、花形とも言える職業であった。しかし、常に命の危険と隣り合わせの彼らを、愚か者の生き方だと揶揄する者もあった。


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