SSブログ

我が名はデスザウラー 4(完) [小説]

 海亀型輸送装甲艦タートルシップは、友軍、敵軍のゾイドを、残り僅かなウルトラザウルスやマッドサンダーは、避難民を収容した。
 戦争を仕掛けた相手である暗黒大陸の避難民を可能な限り救出したヘリック共和国軍は、観測データと弾道計算に基づいて、未だ降り注ぐ月の欠片を避けつつ、安全な退避場所を目がけて海を駆けていた。
 当然のことであるが、暗黒大陸上陸作戦は中止の指令が発された。キングゴジュラスに乗って首都チェピンへ向けて進軍していた、本部のヘリック2世大統領から直接に。首都包囲のため旧ブラッディゲートから上陸しようとしていた南方方面軍にも。

「デスザウラー・・・か」南方方面軍旗艦ウルトラザウルスの通信手アダムスは、収容した避難民に救難用非常食を配りつつ、その名の持つ意味を確かめるように噛みしめた。死の権化、と呼ばれたその名が、言葉が、構造(ゲシュタルト)崩壊を起こしているのを感じる。
 甲板にひしめく避難民が、毛布に包まっては、口々に呟いていたからだ。
「あのデスザウラー達がいなければ、助からなかった」
「わたしはデスザウラーを忘れない、絶対に、永遠に」
「デスザウラーは英雄よ。私達にとって」
「デスザウラーって言えば、ゼネバス帝国の忘れ形見。それが、まさか私たちを」
「デスザウラー、なんてことだ・・・神よ、なんてことだ・・・私は、なんてことを」
 この崩壊は、機体名が連呼されたためではない。自分達の観念の浅薄さに気付かされたために他ならない。
 アダムスは、避難民が語るその光景の記録映像を、甲板で、避難民や乗組員、艦長らと共に、繰り返し見合った。遠く洋上から、津波を乗り越える艦上から、必死に記録していた映像。伝えなければ、そう思った。
 映像は大きく揺れ、途切れ途切れではあった。だが、確かに捉えていた。敵軍たる共和国軍ではなく、仇敵とも言える暗黒軍でもなく、共通の敵として現れた大自然の、大宇宙の脅威に対して向けられた、幾多の閃光を。あの究極の破壊兵器、だったはずの、荷電粒子砲。幾度も幾度も、白い波を舐め、押し戻していた。それは、神が差し伸べた救いの光に見えた。死竜が、我々に、生きろ、と叫んでいる。そして、一体、また一体と力尽きていく。
 避難民達から、嗚咽が漏れた。
 デスザウラーに呼応するように、暗黒軍からも、共和国軍からも、無数のビームが津波に向けて放たれた。だが、その多くは焼け石に水(いや、逆か)。デスザウラーの荷電粒子砲こそが、大津波の危機に瀕していた自分達を救ったのは、間違いのない事実だった。

 避難民収容中に受けた中央大陸からの報によると、同様に津波に襲われた沿岸都市の多くは、海に攫われたという。旧ブラッディゲートで起きた救出劇は、奇跡と言っていい。その奇跡を起こした英雄は誰だ。自分達が死竜の名を冠して恐れたデスザウラーと、敵と見なした旧ゼネバス人のパイロット達ではなかったか。手前勝手に、蔑み、侮辱し、唾を吐いた相手では。
 お互い様なのかもしれないが、それが何の慰めになろう。彼らは、やり遂げてしまったのだから。自らの愚を正すことを。では私たちは? 尋ねるまでもない。今更、気付いても遅い。時は巻き戻らない。自分がやり遂げるのは、これからになるだろう。
 今後数十年、惑星Ziは復興に明け暮れることになるだろう。退避中、ウルトラザウルスの首からは、海岸線がよく見えた。旧ブラッディゲート、メイズマーシ周辺は、津波の被害を最小限に留め、水浸しにはなっていたものの、生存者も多かった。それは英雄の為した業だ。中央大陸にはそんな英雄が、いたのだろうか。いてほしい。いなかったのなら、こうはいかないだろうから。
 戦争継続能力を失い、経済を失い、家族を失ったのは、彗星接近の危険を訴えていた天文学者の忠告よりも戦争を優先した者達への報いと言えた。それを信じた自分達が恥ずかしい。しかしアダムスには、挙国一致プロパガンダを行った政府を責める市民の姿が、それに乗っかる政治家達の論説が容易に想像できた。帰国した後のヘリック2世大統領は、針の筵だろう。もしかすると、自分が記録した映像も、どさくさに紛れて消されてしまうのかもしれない。
 もしそうなら、なんとまあ、馬鹿馬鹿しいことだ。アダムスはハハと自嘲した。
 荷電粒子砲が蒸発させた海水は、厚い雲となり、雨を降らせ、悔し涙を洗い流してくれた。
 歴史の愚かさは、終わってみなければわからない。終わった後の先人の過ちを、後の世の者が笑うのは不公平だ。だから自分は、現役として笑ってやる。今の自分達を。
「死んだ死竜を尊敬しよう。皮肉じゃなくてね」アダムスは頷いた。
「いい敵兵は死んだ敵兵だけ、って意味じゃないよな」甲板手のカニンガムが、フットボールで鍛えた圧力で睨む。事と次第によっては黙っちゃいないと。もちろん違う。
「文字通りの意味だよ。僕たちは愚かだから」
 かつては憎しみを込めて呼んだ名を、今は、英雄の名として語る。思えば、何と勝手な言い分だ。だが、そうせずには居られない。そうしないのならば、自分は真の愚か者だ。
 どうかこの愚かさも、海の底に消し去ってくれ。アダムスは願った。
 雨はただ、生き残った者の体を優しく洗い流した。


 アダムスは、後にヘリック共和国を出、本名アルバーノ・アッダームスに戻った。彼は、退役後に撮られたドキュメンタリーフィルムで、自ら撮影し、戦後必死に守った映像を公開した。そして最後に、こう語った。

「偏見と間違った信念に囚われた私達に、世界を良くすることができると思いますか。
 いや、できなければいけない。
 今こそ、手を取り合って、認め合わなければいけない。
 全てが、そこにあっていいのだと。
 全てに、そこにいてほしいのだと。
 互いに、求め合えるように。」

「何と言えばいいかって?
 そんなもの、決まってる。
 Caro amico!(親愛なる友よ!)」

 其の名は、デスザウラー。
 彼の名は、大異変の目撃者にとって、友愛を意味する。

(完)


※イタリア語で、英語のDearを表すcaroは男性形。caraは女性形。





城玄太様の短編「惑星大異変」を基にしています。
未読の方はこちらからどうぞ
我が名はデスザウラー 3CAP ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。